自分の存在について
自分は、「存在していても価値がない」、「生きていても役に立たない」なんて、思ったりしませんか。正直、私も時々思っていました。例えば、人の怒りの感情をあらわにし、後でとても公開したときやミスをして、周りに迷惑をかけた時、一日何もせずに過ごしてしまった時、毎日同じことの繰り返しで、ただ老いていくことを感じる時などにそう思います。
そう思う原因の奥底には、人に役立たなければならない、迷惑をかけてはならない、充実した生活を送らなければならないなど、何か行動をしなければならいと無意識に頭の中で考えているからです。
存在している価値
しかし、どおでしょう本当に何か行動しないと存在する価値がないのでしょうか。そうなると、生まれたばかりの赤ちゃんや寝たきりの重篤者や老人などは、存在する価値がないと定義されてしまいます。
ですが、そうではありません。寝たきりの重篤者が、自分が愛している夫や妻であった時、意識が無くてもいいから、生きてほしいと感じると思います。寝たきりであったも相手にそう感じさせることができたのならば、相手の生きる希望となります。
赤ちゃんに至っては、何もできないけれど、ただそこにいるだけで親にとっては、生きる希望であり、喜びを感じたりします。そのため、存在するだけで十分に価値があるのです。
では、毎日同じことの繰り返しで、ただ老いていくことだけの生活をしてる場合は、どおでしょう。もちろん、十分に存在する価値があります。なぜなら、生活するには誰かの助けを借りながら生き、その助けた相手にお金という形で報酬を支払い、貢献しているからです。
例えば、朝、電車に乗ったとします。乗った時に当然、乗車兼を買うためにお金を払います。その払ったお金は、鉄道会社にいき、次に鉄道会社は電車を動かすために電気を買うため、そのお金は電力会社に行きます。今後は、電力会社は電気を発電するために、燃料を買うため、お金は燃料の会社へと行きます。
このように、ほんの一部分かもしれませんが、いろいろな人へ助けてもらった報酬を支払い、貢献しているのです。
超一流芸人が昔、「生きてるだけで丸儲け」と言っていたことがありますが、まさにそう言うことです。
生きる意味
そして、よく言われのが、存在する価値と同じ様によく考えることが、「自分に与えられた生きる意味は何だろう」ですが、これはハッキリと言えますが、与えられた意味などありません。
よく、人は生まれた時に宿命を授けられるとか、人として目的を達成するために生きているとか言われますが、そんなものはありません。
「人生は最大の暇つぶし」と言われてたりもするくらいです。生物学的に考えると人類という種を存在させ続けることが与えられた生きる意味と言えるのかもしれません。
個人として生きる意味があるとしたら、それは、自分で生きる意味を決めることです。自分以外に自分の生きる意味など決められません。存在するだけで十分に価値のあるです、自分をどう生きるかを決めるだけで、+αの生活が待っています。
後は、どおやって自分をしあわせにするか自由に決めるだけなのです。