承認欲求は誰の為
人は、日々生活の中で誰かに褒められたい、認められたい、SNSの配信でいいねをもらい、フォローされたいと思っていることが多いと思います。
これを承認欲求と言います。
そして、この欲求を満たすため、行動し、周りの目を気にしながら、日々努力をしています。
なぜこの承認欲求を満たすことに、夢中になるのか。
それは、自分が「ここにいてもいいんだ」、「いる価値があるんだ」と社会や集団の中の所属感を得るためにしています。
私も、承認欲求を満たすため、努力していました。
承認欲求を満たすのは、自分の為であると一見思われがちですが、実はこの欲求を満たすためにしていることは、他人の期待に応えるために自分が努力したり、他人に同意を求めていることにもなります。
つまり、承認欲求を満たすために、他人の求める期待に対して、自分の意志に反してでも応えなければならなくなります。
承認欲求を求める必要はない
もちろん、誰かに褒められたり、尊敬されたり、感謝されたりすることで、心が満たされ、しあわせな気持ちになります。
これは、当然悪いことではありません。むしろ、良いことです。
しかし、これを他人から与えられるために、行動し、努力することが正しいとは言えません。
なぜなら、それだけを追い求めると、他人から与えられなかった時に、行動しなくなったり、自分を責めたり、不安な気持ちになってしまうことがあるからです。
例えば、親に褒めてもらいたくて、勉強を頑張り、テストで100点を取ったとします。
その結果を、親に見せた時に、何も反応がなかったら、どう思いますか。きっと落ち込むでしょう。
別のケースでは、前で歩いている人の財布が落ちたので、拾って渡してあげた時に、その人がお礼の一つも言わず、そのまま無言で受取、立ち去ったら、どう思いますか。
もちろん、がっかりするでしょうし、お礼も言わずに立ち去るとは、なんて奴だと逆に怒ってしまうこともあるでしょう。
このように、他人から何かを与えられる為にしていると、与えられなかったときに気持ちが落ち込んだり、怒ったりして、次からは、しなくなってしまうことなるかもしれません。
そんなことをしていたら、将来、何もできなくなってしまいます。承認欲求を満たすために生きていると、最終、他人の人生を生きることになりかねないのです。
では、どおしたらよいかですが、そもそも他人の期待など、満たす必要なないのです。他人の期待を満たすために、自分が生きているわけではありません。
もちろん、他人もあなたの期待に応えるために生きているわけではないのですから。
自分の為の行動
では、承認欲求を満たすことを求めず、他人の期待に応える必要がないと分かったとして、どのようにしていけばよいかという疑問が出てきます。
その答えは、「自分が自分の期待に応えるために行動する」ことです。
その行動の中には、他人を助けることや社会や集団の為になることをしてもかまわないのですが、これは自分の為に行い、自分の中で「自分の行いは社会に貢献できている」と思い、感じるだけで十分にしあわせになれるのです。自己満足でいいんです。
まずは、自己受容から始めましょう。
この自己受容については、こちらの記事で紹介しています。
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他人の評価や自分への利益は後で気づいたら、向上しているものです。
そうすることで、他人の評価や行動が気にならなくなり、意表を突かれた行動に怒りを感じることもありません。
自分の行動に対して、誰かに褒められたい、尊敬されたり、感謝されたら+αで2重の喜びと充実感を得られることになり、非常にお得な考え方になります。