結果を出すことが全てではない
「仕事は結果を出さなければならない。」
間違いではありません。
結果が出なければ、利益がでないでその会社は倒産します。
会社は「結果を出せ」、「成果こそ会社の為になる」なんてよく言われ、社員はヒーヒー言いながら結果を出そうと必死になります。
そして、いよいよ厳しい状況になると何かを省略してでも、結果を出そうとしてしまいます。
そこで、結果が得られたとして、本当にそれだけで良いと思いますか。
良いはずありません。必ずしも、結果が全てではありません。
なぜなら、その結果の後に続くものがなくなっていくからです。
プロセスを重視すると結果がついてくる
例えば、山登りをして、頂上を目指すとしましょう。
当然、誰もが山登りは歩いてするのもだと思っています。
しかし、中には頂上に到着する結果だけにとらわれて、別の方法をとってしまう人がます。
それは、ヘリで近くまで行ってもらい、頂上にたどり着くなどの方法で、楽して結果だけを出したりする人です。
確かに、結果は出ます。
でも、その結果は頂上にいたという結果のみです。
当然、途中に何があったのかなど知るわけがありません。
そして、その人には頂上にいた記憶のみが残るだけです。
成長もしなければ頂上にたどり着くためのコツも分かりません。
代わりに、歩いて頂上までたどり着いた人は、「途中の道できれいな川があった。」や「途中に滑りやすいところがあったので、履く靴には気を付けないといけない。」、「上に上がるほど、気温がさがるのでリュックに上着を入れていた方が良い」など、頂上に着くまでにいろいろなことに気づくことができます。
何より、頂上まで自分の力で登れたことで、こころも体も成長します。
別の山に挑戦した時でも体験した経験を生かすことで、その山も頂上まで登れるようになるでしょう。
しかし、ヘリで頂上にたどり着いた人が、別の山に挑戦したらどおでしょう。
ヘリで頂上近くに行っても降りれるところが無かったり、風が少しでも強かったら頂上へ近づくことさえできなくなってしまいます。
つまり、次の結果が出にくくなります。
それに、ヘリで頂上に行った人を周りは評価するでしょうか。
結果は同じでも、全然違います。
結局、成功という結果のみで判断し、困難を切り抜ける力によって判断をしないでいると、別の困難に出くわした時に切り抜けなくなり成功を逃します。
結果がでるまでに至ったプロセスを大事にしてください。
そして、プロセスを大事して進むと困難に立ち向かう能力がつき、多少のトラブルがあっても、良い結果につながるようになります。
地道なプロセスほど後で生きてくる
今度は、モノづくりを例にとっての話です。
新商品の開発には、Aという条件とBという条件があり、それぞれ1~10の間のいずれかの値を使って組み合わせることで、良い商品ができると分かっていたとします。
ある人は論文などの情報で、Aは5、Bは4が最適とわかり、その条件を試したところ、本当に良い結果出て、そのまま製品化したとします。
別の人はAは5、Bは4が最適と分かっていながらも、Aは5で固定してBを1~10まで1単位で変更して結果を確認し、今度はBを4で固定してAを1~10まで1単位で変更した結果を確認し、やはりAは5、Bは4が最適であったと判断し、製品化したとします。
単純に考えれば、前者の方がかなり早く商品化できるようになり、すぐに結果がでるので良いと思われるのですが、実はそこに落とし穴があります。
生産を始めると品質にばらつきが出ます。
そんな時、Aは5、Bは4しかしていない人は、どのように条件を変更すれば、品質が良くなるか分かりません。
そして、生産しているのでかなり多くのロスを生じながら、条件を変えて品質が良くなるまで試さなければなりません。
これでは、大きな損害を生みます。
しかし、後者の条件を複数こなした後に製品化した人は、多少の品質のばらつきであれば、この条件に変更すれば、品質は良くなると一発で条件を見つけることができます。
当然、損害は最小限に抑えることができます。
このように、プロセスを大事にした人と大事にしていない人では、結果が出た後に多きな差が生まれます。
多少、苦労があったとしてもプロセスを大事にした方が、最終的には良い結果を生むようになります。
大切なのは結果よりも、積み重ねた努力と困難に立ち向か力です。
これは、モノづくりや山登りに限ったことではありません、
それさえあれば、人は人生の課題を解決していくことができるようになります。
そして、しあわせを感じることができるようになります。