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「以心伝心」による、すれ違い
日本では「以心伝心」という、ことわざがあります。
これは、「言葉や文字で表現しなくてもお互いのこころとこころで通じ合う」という素晴らしい意味を持っています。
これは、完全にこころが通じ合った、師と弟子であればこころに伝える事ができるという仏法の真髄です。
普通はこんな事できません。
普通はできないことを、普通にできると勘違いすることで、気持ちがすれ違っていきます。
以心伝心で気持ちは伝わらない?
しかし、これを拡大解釈して、勘違いしている人がいます。
昔よく聞いたフレーズがあります。
「妻には言わなくたって、通じている」
「おい、あれ持ってきてくれ」
これで本当に伝わると思っている、一家の主がいました。
今でも、この風習が残っていることが度々あります。
特に40代以降の夫婦は、昭和の家庭環境をよく知っているのでなおさらです。
今は「察する」に変化
最近では、「察してよ!」と言って、「自分の気持を言わなくても、気づいてくれる」と思っている人がいます。
ずっと見ていれば、察することもできます。
しかし、「いつでも察する」の至難のワザです。
「察してよ!」と言った、あなた。
あなたはその「察してよ!」と言った相手の気持ちが分かっていますか?
「察してよ!」と言われた相手の気持ちが理解できていますか?
きっと、分からないはずです。
思いがすれ違う習慣は
- 「察してくれている」
- 「何も言わなくても分かっている」
と思い込んでいることです!
気持ちは言わなければ伝わらない!
言葉に出して、初めて伝わる気持ち
何事も、言わなければ伝わりません。
表情に出せばなんとなく分かりますが、言ってくれないとハッキリ分かりません。
相手に気を使わせないため、怒っている感情を出さないようにガマンしていたりしたら、余計に分かりません。
しかし、その感情を抑えきれずについつい、「こんなに怒っているのになんで気づいてくれないの!?」なんて言われたら、相手はそれに「ビックリ」です。
気持ちを隠せば余計にわからない
それはそうでしょ、相手に気づかれないように隠していたのだから。
そんな事をしていたら、気持ちがすれ違うのは当たり前です。
朝食でパンを出した時「今日はお米の気分だったのに、なんで分からないんだ」なんて言われたら、もうすれ違いMAXです。
だって、良かれと思ってパンを出しているんですから。
それが逆に悪かったなんて、悲しすぎます。
そう、「何事も言わなければ分からない」これ一択です。
言って初めて、ホントの気持ちが伝わります。
その勘違いは捨てましょう
もう、分かりましたね。
「察してよ!」、「言わなくたって分かる」は勘違いです。
「以心伝心」これは、神話です。
普通に生活しているだけでは、到底たどり着くことができない神の領域です。
この勘違いは捨てましょう。
残っているのは言葉で伝えることだけです。
自分の気持を言葉でしっかり伝えましょう。
「今日は悲しい」という、つらい気持ち。
「イライラする」という、怒る気持ち。
「ウキウキする」という、楽しい気持ち。
「ありがとう」という、感謝の気持ち。
みんな、みんな言葉で伝えましょう!
これで、気持ちのすれ違いはなくなります!